コパ・アメリカの試合を見ていて、長年の疑問(おおよその検討はついていましたが)を解決しようと少し調べてみました。その疑問とは「なぜアルゼンチン代表には黒人の選手がいないのか?」です。
その理由は、アルゼンチンの歴史的な背景と人種構成に深く関係しているようです。
歴史的背景と移民の影響
アルゼンチンは19世紀から20世紀初頭にかけて、主にヨーロッパからの移民を大量に受け入れました。特にスペインやイタリアからの移民が多く、これによりアルゼンチンの人口の大部分がヨーロッパ系白人となりました。この移民政策は、アルゼンチンが豊かな農業国であったことから、ヨーロッパの貧しい移民が新しい生活を求めて移住してきたためです。
黒人奴隷の少なさ
一方で、アルゼンチンにはブラジルのような大規模な鉱山資源がなかったため、アフリカからの黒人奴隷の需要が少なかったことも影響しています。ブラジルは鉱山労働力として多くの黒人奴隷を輸入しましたが、アルゼンチンは主に農業労働力としてヨーロッパからの移民を受け入れました。
人種構成の変化
また、アルゼンチンでは歴史的に先住民や黒人の人口が減少する過程がありました。19世紀の戦争や病気、そして社会的な排除により、黒人や先住民の人口が著しく減少しました。その結果、現在のアルゼンチンの人口の約97%がヨーロッパ系白人とされています。
文化的要因
アルゼンチンの文化や社会はヨーロッパの影響を強く受けており、ブエノスアイレスなどの都市は「南米で最もヨーロッパ的な都市」とも言われています。このような文化的背景も、黒人選手が少ない理由の一つと考えられます。これらの歴史的、社会的背景により、アルゼンチンのサッカー代表チームに黒人選手がほとんどいない現状が生まれています。
数少ない黒人の代表選手
ただ全くいなかったわけではありません。過去にアルゼンチン代表チームに黒人選手がいたことがあります。最も著名な例はアレハンドロ・デ・ロス・サントス(Alejandro de los Santos)です。彼は1925年にアルゼンチン代表として南米選手権(現在のコパ・アメリカ)で優勝した際のメンバーでした。デ・ロス・サントスはアルゼンチン代表でプレーした最初の黒人選手として知られています。
また、1978年と1982年のワールドカップでアルゼンチン代表の控えゴールキーパーを務めたエクトル・バレイ(Héctor Baley)も黒人選手の一人です。彼は試合に出場する機会は少なかったものの、代表チームの一員として活動しました。
これらの例から、アルゼンチン代表チームに黒人選手が全くいなかったわけではないことがわかりますが、その数は非常に少ないです。これは、アルゼンチンの歴史的背景や社会的な要因が影響していると考えられます。