日本対ポーランド、最後の10分間について考える

 なんかモヤモヤ感が払拭できないあの話題。そうロシアW杯、日本対ポーランドの最後の10分間の日本の戦いぶりについての評価です。賛否が分かれるなどといった言い方を目にしますが、基本的なところの共通理解ができていないことが意見の相違を生んでいると感じています。

 基本的なところというのはW杯の試合方式についてです。W杯本大会は二つのステージから成っています。ひとつは最初に行われるグループステージ(GS)。もうひとつはGSを勝ち抜いたチームによって戦われるノックアウトステージ(KS)です。

 予選を勝ち抜いた本大会出場国32チームを4チーム毎8組に分けられて戦うGSは総当たりのリーグ方式で行われます。GSを戦うチームの目標は何か。3試合を戦い終えて上位2チームに入ってKSに進むこと。第一義的な目標はこれです。一つの試合に勝つとか引き分けることが一番の目標ではありません。3試合の総合成績で2位以内に入る。このことを目標に戦われるのがGSです。

 そのGSを勝ち抜いた16チームで行われるKSの目標は何か。こちらはいたってシンプル。対戦する相手に勝つこと。一発勝負。負けたら文字通りノックアウトされて敗退ですから、とにかく目の前の試合での勝利を目指さなければいけません。第一義的な目標は試合に勝つこと。まず90分間で勝つ。それがダメなら延長戦の30分間で勝つ。それでもダメならPK戦で勝つ*ことが目標となります。

*記録上はPK戦での勝ちは勝利とは記録されません。延長戦を終えて決着がつかなければ記録上は引き分け。PK戦は次のラウンドに進むチームを決めるための手段、昔はコイントスによる抽選で決められていたものの代替に過ぎません。

 このようにGSとKSではひとつの試合に勝つという意味合いが異なるのです。KSはのど元にナイフを突きつけあっての戦いと評されることがあるように顔をそむけるようなことがあれば一突きで刺されて敗れ去る。目の前の試合で勝つことでしか、次のラウンドに進むことができない果し合いのステージです。

 一方のGSでは目の前の試合のことだけを考えていてはいけません。最終戦である3試合目では、それまでに行われた過去2試合の成績に目の前の試合の状況を加味して自分たちの最終成績を予測。それに加えて、同時刻に他の会場で行われている同じ組の他の2チームの試合の情報を入手し、4チームの最終順位がどうなるかを予測して戦わなければなりません。予測の結果が勝ち抜け条件である上位2チームに入ってるかどうかで、チームの戦い方が変わります。

 コロンビアが1-0でリードしたとの情報を得たあと、1点リードされているにもかかわらず、ポーランド戦の最後の10分間、日本はボールを保持して攻撃に出ないやり方を選択しました。コロンビアがこのまま1点差で勝つ可能性が高いと判断し、ポーランド戦のスコアをこのまま変えない、その結果この試合で敗れて勝ち点、得失点差で並んでも、フェアープレーポイント(受けた警告の数)の差でセネガルをおさえ日本が2位に入れると踏んだのです。

 この選択が最善なのかはその時点では分かりません。セネガルがコロンビアに追いつけば無に帰す可能性もありました。それでも、引き分けや勝ちを狙って攻めに出た場合、逆に失点して得失点差が広がる可能性やファウルを犯し警告を受けてフェアプレーポイントでの優位を失ってしまう可能性も一方でありました。それらすべてを勘案してボールをなるべく渡さない戦い方を選択し、結果的に日本は勝ち抜くことに成功したのです。

 日本代表は自力で戦うことを放棄して他力に委ねたとの批判がありますが、私に言わせればそれこそリーグ戦というもの。3戦3勝ができる実力抜群のチームであれば、自力だけで勝ち抜くこともできるでしょうが、W杯でそんな力を持っているチームは稀。実力伯仲のGSを勝ち抜くためには、自分の力だけでなく、他のチームの力やその時々の天候やスタジアムのコンディションなどなど、いろんな力が相互作用した結果、総合成績で上位2チーム内に入っていなければなりません。目の前の試合に勝ちさえすれば良いという自力だけが頼りのKSとは異なり、GSでは自力という直接的な力だけではなく、他力という間接的な力も使いつつ、勝ち抜かなければならないのです。

 ポーランド戦の残り10分のスタンドの様子を映した映像で声をあげて代表を非難している日本人サポーターの姿を見てショックを受けました。なんせその時、私は手を叩いて喜んでいたのです。「日本がイタリアやウルグアイみたいな戦い方をしている」と。GSを戦うチームの目標は何かという共通理解があれば、このように意見が大きく異なることにはならなかったと思います。

 サムライらしくないという海外での評価がありますが、GSの目的である勝ち抜くことを優先して勝ち点を取ることを放棄したことが果たしてサムライらしくないと言えるのでしょうか。常に勝負をする、逃げないというのが海外の方のサムライのイメージかもしれません。でも、源平の頃でも、向こうみずに敵中に突進する武士は「猪武者」と呼ばれ、軽侮されていました。状況を考えずに、がむしゃらに事を行うサムライがそう揶揄されていたのです。

 大義のために、一時の辱めや非難を受けることも厭わず耐え忍ぶ、それが本当のサムライであり、あのときの日本代表の戦いぶりは立派なサムライの振舞いであったと私は思うのです。

 

 

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