日経に掲載されたロナルド・レング氏のコラム「グローバルEye イタリア人のサッカー観 0-0を愛する不思議」は、まさに多面的なサッカーの楽しみ方の一つの面を見事に描いています。読みながら何度も深くうなづいてしまいました。
このコラムでは、バルセロナとスペイン代表で活躍したジェラール・ピケ氏の引退後の挑戦が紹介されています。ピケ氏はサッカー界の改革者として、攻撃的でスピード感ある新しい試合スタイルを模索しており、その一環として「スコアレスドローに勝ち点を与えない」という大胆な提案まで検討しています。
しかし、その動きに異を唱える声もあります。出どころは、サッカーの伝統国・イタリア。守備重視の「塩試合」を美学として受け止めるイタリア人にとって、0-0の試合は退屈どころか詩的なものです。
イタリアの有力紙「ガゼッタ・デッロ・スポルト」は「サッカーの魅力はゴールがまれにしか生まれないことにある」と語ります。「ゴールとは恋愛のようなもの。人は5分ごとに恋に落ちることはできない。90分という短い人生で一度でも素晴らしい出会いがあれば、それで充分なのだ」と。
このような比喩は、日本のサッカーファンには少し遠い感覚かもしれませんが、だからこそ興味深いと感じます。イタリア人の文学的、哲学的なアプローチは、スポーツの枠を超えた人生観すら感じさせます。
コラムの最後でレング氏は、そんなイタリア人の感受性を前に「私にはヘルマン・ヘッセの『霧の中』を読む方が合っている」と語ります。霧の中に立ちすくむような0-0の試合に魅力を感じるイタリア人と、はっきりとした意味や展開を求めるドイツ人。まさに文化の違いがサッカー観にまで表れているのです。
今の日本では、アメリカ的なエンターテインメント重視の視点が主流になりつつあります。得点シーン、ハイライト、スター選手といった分かりやすい要素が中心です。しかし、このコラムを読んで改めて思ったのは、サッカーには「得点以外の楽しみ」も確かに存在するということです。
静かな攻防、緊張感、戦術のぶつかり合い——こうした要素に魅力を感じる視点を、もっと大切にしてもよいのではないでしょうか。0-0の試合がつまらないとは限らない。むしろ、それを味わえる感性こそが、サッカーをより深く楽しむ鍵になるのかもしれません。
*でも、昨夜の試合はつまらなかった😅